沈黙の春 〜レイチェル・カーソンの警告〜
-
2023-02-09
ブログ
20200530メーリングライン投稿
■沈黙の春 〜レイチェル・カーソンの警告〜2014年放送
おはようございます。
いつもご覧頂きありがとうございます。
ちょうど私が生まれた頃にすでに化学物質に対して書かれたいた本が出版されてました。
当時この本を読まれた方は恐怖だったと私は思います。
私たちが良かれと思ってやってしまった地球化学物質汚染。
その元になる
全ての化学物質を
私たちが手にしている媒体で
高次元の科学(意識)で
バランス(活かす)をとり
その高次元の科学によって
今まで汚したものを
分解・浄化してくれる。
ありがたいですね。
このことを前提に下記の文面に
宜しければ目を通してみてくださいませ(^。^)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■沈黙の春 〜レイチェル・カーソンの警告〜 2014年放送
環境保護運動の古典といわれる『沈黙の春』を著し、人工化学物質による環境破壊に対し警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソン。
没後50年を迎えるにあたり、彼女の言葉に改めて光をあてます。『沈黙の春』が出版されたのは1962年。
「ああ鳥がいた、と思っても、死にかけていた。ぷるぷるからだをふるわせ、飛ぶこともできなかった。春がきたが、沈黙の春だった。病める世界 - 新しい生命の誕生をつげる声ももはやきかれない。すべては、人間がみずからまねいた禍いだった」
DDTを始めとする農薬などの化学物質の危険性を、鳥達が鳴かなくなった春という出来事を通し、訴えたカーソン。
彼女の警告を受け、危険な農薬類は禁止に向かいましたが、人類はいまだ他の生物や自然に対し破壊的行為を続けています。
環境ホルモン、原発事故による放射能汚染など、問題はむしろ拡大しているのではないでしょうか。環境破壊に警鐘を鳴らす番組を通して、彼女の思想をあらためて振りかえりましょう。
彼女の意志は、「人間は自然に対して謙虚であれ」と、今に生きる私たちに普遍的なメッセージとして訴えてきます。
■動画:下記の1999年に放送された二つの番組を紹介しています。
「未来潮流 地球と生命のために〜環境運動の先駆者レイチェル・カーソン〜」
「世紀を越えて 地球 豊かさの限界 第3集 それはDDTから始まった」
***
■カーソンが亡くなる2年前、1962年に出版された「沈黙の春」。
アメリカのとある町。
春がくると、緑の野原のかなたに白い花のかすみがたなびき、秋はカシやカエデやカバが燃えるような紅葉のあやを織りなし松の緑に映えて目に痛い。渡り鳥が洪水のように、あとからあとへと押し寄せては飛び去る。
ところがあるとき、どういう呪いをうけたのか、この自然豊かな町に暗い影がしのびよった。いつもだったら、コマツグミ、ネコマネドリ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜が明けるのに、いまはもの音一つしない。野原、森、沼地-みな黙りこくっている。春がきたが、沈黙の春だった。
沈黙の春の原因を追及。このままだとやがて人間のからだも蝕まれていくと警鐘を鳴らしています。
■そ上にあげた化学物質DDT。
日本でも戦後、GHQによって導入されたことにより、発疹チフスの患者は1年で30分の1に減りました。世界中で1億人の命を救った奇跡の薬品といわれ、この殺虫効力を発見した科学者はノーベル賞を受賞したほど。そのDDTをカーソンが「危険だ!」と書いたものだから、化学薬品企業などを中心とした産業界、体制側の科学者から激しいバッシングを受けました。しかし、彼女の警告を真摯に受け止めたケネディ大統領が英断を下し、諮問委員会に調査を命じたことによって流れが変わりました。
たった一人の女性が書いた一冊の本が大統領を動かしたのです。
環境保護に対する市民の意識が高まったアメリカでは1970年にアースデー、公害抗議運動の大きなうねりが巻き起こります。1972年にはストックホルムで国連人間環境会議が開催。同年、DDTは使用禁止となりました。
カーソンの精神は、20年後のリオデジャネイロ地球サミット、そして2012年リオプラス20へと受け継がれています。
しかし、今日、環境汚染がなくなったかというと、残念ながらそうとは言えません。DDTなど残留性の高い物質は、使用をやめても長く環境中にとどまり続けます。外因性内分泌かく乱物質、いわゆる環境ホルモンの問題は解決していませんし、オゾン層の破壊、放射性廃棄物の処理問題等、豊さと利便性を追及した20世紀の負の遺産は膨大です。
どうしたら環境破壊をくいとめることができるのでしょうか。
カーソンは、最終章に「べつの道」と題して、我々は如何に生きるべきか、示唆を与えてくれています。
■べつの道
私たちは、いまや分かれ道にいる。
長い間、旅をしてきた道は、
すばらしい高速道路で、
すごいスピードに酔うこともできるが
私たちはだまされているのだ。
その行き着く先は、禍いであり破滅だ。
もう一つの道は、
あまり(人も行かない)が、
この分かれ道を行くときにこそ、
私たちの住んでいる
この地球の安全を守れる、
最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。
※引用「沈黙の春」新潮社刊 青樹簗一訳