『孔子の教え』1
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2023-04-13
ブログ
ドラマ【孔子】より
老子:”天が育んだ万物には盛衰があり”
”地が育んだ青草には栄枯がある”
”水は低きに流れ腹が減れば飯を食う” これが大道だ。
文王にも般を倒す意思があったかもしれぬ。
機を見ていただけ。
その頃 民の不満はまだ満ちてはおらず 武王の時に機が熟した。
武王が怒っている民の前で声を出すだけで 般の王朝は倒れたのだ。
民でも聖人でも ただ1人の 努力と情熱では仕方ない。
文王になれても武王にはなれぬ。
聖人はむやみに動かない。
待つことを知っていて力を蓄えるからだ。
分かるか?
孔子:分かりません。
老子:丘よ 私はずっと”無”を説いてきた。
だがお前は”有”を語る。
努力することは正しい。
それは”有”だ だが機を見極めることも正しい。
それが”無”だ ”有”と”無”は本来一体で一軒の家なのだ。
外を”有”が囲むから中に”無”ができる。
”有”と”無”をまぜてしまえば 中には入れぬし もはや家ではない。
私の宝は3つ
”慈”と”倹”
”敢えて天下の先をなさず”だ。
”慈”とは領内の民を思いやり痛みを知ることだ。
”倹”は自身が倹約すること
”天下の先をなさず”は国との交渉では下手に出る。
出しゃばらぬことと自然に任せることだ。
自然に反しないのが国を治める大道
すなわち大道の源と言えよう。
私は星空を眺めることがある。
天の星は三皇五帝の前から存在していた。
数千年後もそこにあるだろう。
だが小さな虫たちはどうだ?
虫の命はひと夏で終わりを告げる。
何十年と生きる我らを見てうらやましく思うだろう。
我らの命は入れ物に入ってるようなもの。
孔子:入れ物?
老子:そうだ、
体は見ることができる形ある部分だ。
だからこそ痛みや飢え不安や快楽を感じる。
しかし 体の中にある”無”が指示を出しているのだ。
いつか人が死んで入れ物がなくなると
体の中の”無”と外の”無”が1つに溶けあうだから
形ある物は必ずなくなる。
形のない物が永遠なのだ。
固い物ほどもろく柔らかい物ほど長持ちする 。
人は年を取ると歯が抜けるが舌は抜けずに残る。
舌は歯より柔らかいからだ。
書いた者が死んでも書の精神は永遠に残る。
だから”無”が道の根本であり ”有”は道の表面なのだ。
周の王宮の書庫には数百年分の書物がある。
これを見守ることに私は人生を費やしある人を待ち続けた。
道の教えを伝えたいと思っていたのだ。
お前が待ち人だった。
よかった。